図書館から予約した本だったので、さっさと読むことに。
子どもから大人になるための「通過儀礼」。セイリ、セイツウ、親のウワキ…。
そんなことを乗り越えて、祭りのかけ声「サーイセ」の意味を知る。
「まく子」というのは、女の子の名前ではなかったのだ。
筆者である西加奈子さんの挿画が、アクセントになっている。
1ヶ月前に読んだはずなのに、乱読していたせいか、さっぱり思い出せない。
この本をオススメする文章があり、本気で一日で読了。
そうなんだ。この読書スピードでないと、前後の脈絡や登場人物の性格や場面転換がつながらないんだ。
名古屋での高校時代に男性3人、女性2人の5人で友情を育んでいた「つくる」は、1人上京し大学に進学。20歳の頃、残りの4人から納得のいかない「拒絶」を受ける。
36歳の現在、沙羅との出会いに促されるように、その真相を確かめるために名古屋とフィンランドまで「巡礼」の旅に出る。
その結果、すべてが納得できたわけではない。プール仲間の灰田は戻ってこない。
沙羅に対しても、新たな疑惑が生じた。
いずれにせよすべては明日のことだ。
ようやく本書について、誰かと話せることができそうだ。
BGM:ラザール・ベルマン 巡礼の年
『ル・マル・デュ・ペイ』(田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ)
長編を取り組む決心がつかず、「村上春樹とは何者か?」という疑問に迫れるような読みやすいものに逃亡中。
本書は2007年に単行本として出版された、「ランニングという行為を軸にした一種の『メモワール』」(前書きより)だ。
1982年に専業作家としてのスタートと共に路上を走り始め、毎年最低1回のフルマラソンはもちろん、100キロマラソン、トライアスロンまで、ゴールで「もう走らなくてもいい」という感覚を得たいがために、黙々と走る。日々鍛錬する。
生活のサイクルも、トレーニングのために朝型となり、夜の付き合いはしない。ましてや「文壇」と言われる集団とは距離を置いている。
本書で「ニューヨークの秋」というジャズ・スタンダードの、曲と名前が一致した。
2011年8月に読んでいました。「しゅららぼん」の正体だけ、うっすらと記憶に残っていたのですが、改めて読み、物語の舞台が琵琶湖をめぐってのお家騒動。しかも現代版。面白かった!
2006年のデビュー以来、文学賞に落ち続けた万城目さん。本人が主人公なのではないかと思えてしまう、可笑しさが漂う。何かに翻弄されてしまうところなぞ。
映像化できそうもない内容かと思っていたのですが、映画化されているのですね。機会があればみたいものです。
まだまだここに書けるほどには消化していないのだが、書いておかないと、次に進めないので。
ゆっくり読んでいたら、ある登場人物が再登場した際に「誰だっけ?」となってしまったり、時空を超えて書かれているので、前後のつながりを求めようと思っても、仕方のないことなのだ。
ひたむきな主人公、悪い奴らとの闘い、不可解な女性たち。と、何となく色分けができるようになるにも時間がかかる。
先日、久しぶりに会った旧友は「村上春樹は女性蔑視の書き方に嫌気がさし、読まないようになってしまった」と。確かに、男性は政治家、女性はかつらの女工。そこがゴールらしい。逆はありえないのかな?
本書の考察のHPを観て愕然とした。
あと10回読まないと、この域には達しないのかも。