leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

ゴッドマザーの告別式

亡き父の長兄の連れ合いが、102歳で年明け2日に天寿を全うした。

ここ2年は、高齢者施設に入所し、年末に入院した末でのことだ。

本家では、すでに玄孫もいたようだが、通夜はなく告別式の席で初めて下の名前を知り、数人は「初めまして」の親族と挨拶を交わした。

私が幼稚園のとき、この叔母が数日、我が家に滞在したことがあった。

考えてみれば、叔母はまだ50歳前後。すでに「老女」の印象だった。

看護師の母に代わり、登園の集合場所まで、私を送ってくれた。

母の記憶によると、近所の高齢者(斉藤さんのおばあちゃん)と親しくなったとか。

その恩義をずっと感じていたので、告別式にはぜひとも駆け付けなければと思っていた。

連絡をくれた従兄は、いつも低姿勢で、参列の感謝の意を表してくれた。

その連れ合いは、いつも病気がちで、その日も遠くからその小さくなった姿を見守ることしかできなかった。「嫁」という立場で、ほとんど生涯を過ごしたことになる。

檀家の寺のお坊さんが、葬祭の場に駆け付け、「献杯」というのはあり得ないだの、「ご焼香のマナー」などを説いてから、長い読経に入り、「どれだけお布施をあげればこの最長の読経をしてもらえるのだろう?」とよからぬ推測をしてしまった。

読経の中で、聞き取り可能な本人の生涯を語る一節において、私は彼女のヒストリーの一端を垣間見えることができた。本家の嫁として、全うした人生だった。

喪主のご挨拶は従兄が短く行い、焼き場に向かうバスに乗り込まなかったため、これ以上参列者と言葉を交わすこともなく、姉と食事をして帰った。

懇意にしていた従姉(参列していなかった)に電話で「お元気なのですか?」と翌日連絡を入れたところ、コロナのため、参列者を制限していたことを初めて知った。

亡き父の兄弟姉妹は、あと3名ほど存命中。従兄から連絡があれば駆け付けなければいけないのだろう。

5連休の中日に慣れない電車に揺られて参列したこの日を記憶に留めたいと思い、記すことにした。