leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

樺美智子 聖少女伝説

樺美智子 聖少女伝説

樺美智子 聖少女伝説

 

1960年、私が生まれて11日後に、樺美智子はこの世を去った。

まっすぐに「みんなのため」に奔走し、命を落とした。

教授の娘という恵まれた家庭の一人娘。浪人し、入った予備校が合わないと、2学期から駿台予備校に入り直し、東大第2文学部に入り、日本史を専攻した。

東大に入ると活動を始め、ガリ切り、オルグなど、裏方を黙々と引き受け、指導者に立候補しても落選するという憂き目にも耐えた。

彼女は「共産党には入党していない」と母に告げた。その時点ですでに、「ブント(ドイツ語で同盟の意)」に踏み入れていたのを黙って。

故郷の友人に日記がわりに手紙を書き、母と腕を組んで買い物に行く一面もあった。

彼女の死因は判然としていない。しかし「彼女の死」という事実そのものが、当時の学生運動を「浄化」させた。

母と二人旅

4月10日(水)~11日(木)

 

母とのんびり、温泉でも行こうということになり、駅から近い温泉を探し、湯河原駅近くのホテル城山を予約。

母は横須賀から大船乗り換え、私は戸塚から東海道線に。

乗換案内で調べて「電車内で会えたらいいし、最後には必ず湯河原の改札で会えるからね~」と念を押したが、やはり乗換案内の時間が現実とは異なり、私は一本早い東海道線に乗りこみ、「早すぎた~」と大船駅で一旦降りたが、せっかちな母は「一本早い電車に乗れた!」とその東海道線に飛び乗ったのだとか。

大船から湯河原まで、どのあたりの車両に乗っているのだろう?という私の心配をよそに、母は、改札を出たところで、私が来るのを待っていた。

歩いて2分のホテル城山へ。露天風呂付和洋室という豪華なお部屋です。

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露天風呂は、もちろん温泉。

 

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まだ明るかったので散策。ホテルから近い「城願寺のびゃくしん」という大木を観に、出かける。

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階段を何とか上り、境内や相模湾まで見える景色を楽しむ。

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宿に戻り、温泉を楽しみ、夕食。舟盛りとステーキの豪華版。

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デザートも平らげ、部屋の露天風呂に入ったり。。。

この旅行での母との会話で記憶しておきたいのは、やはり昭和20年代の看護師時代のエピソード。

シベリア抑留から、母の勤める国立舞鶴病院に一時収容された帰還兵が、母の脈を取ったり、清拭したり、包帯を変えたりする様子に「ボクは女性の人に触れられたのは初めてなんです」と告白したそうな。ただ、患者を70~80人抱える母は「あっ、そう」とこともなげに、次々と処置していった。若いながらも正看護婦であった母は、准看護婦や下働きをしてくれる女性のチームリーダーでもあったようだ。

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一夜明け、朝食を前に、満足げな母。

来られなかった姉へのお土産の梅干しを、何よりも早く買い求め、宅急便で送り、住まいのお友達への手土産もたくさん買い込み、帰りの湯河原から東海道線に乗りこみ、大船で降りていきました。

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コモリと子守り

コモリと子守り

コモリと子守り

歌野晶午さんの新作。

てっきり「コモリ」という名字の人が出てくるのだと思っていました。

この主人公、訳あって一日時間だけはあり、窓の外を観ると向かいのアパートのベランダ。

そこに見えた風景は何やら「幼児虐待」の地獄絵図。

真珠と書いて「パールちゃん」というらしい。

たまーに出かけたコンビニへの道すがら、パチンコ店の駐車場に放置され、熱中症に見舞われている「パールちゃん」を発見。

とりあえず自宅に連れ帰り「育児といえば舞田ひとみ!」と思いだし、助けを請う。

「パールちゃん」はその後も誘拐事件に巻き込まれ、別の誘拐事件ともシンクロし、主人公と舞田ひとみも翻弄される。

主人公の成長譚として、かるーく読める一冊。

 

 

高台にある家

高台にある家 (中公文庫)

高台にある家 (中公文庫)

娘の水村美苗さんの講演会で、買い求めた一冊。

 

70代に小説修業を始め、娘のアドバイスを受けながら、この一冊を書きあげて亡くなった。

何しろ、記憶力がずば抜けている。

自分の父親と母親を巡る「血族」は、多くの人間関係が込み入り、話が脱線することもしばしばだが、書いておかずにはいられない人々なのである。

横浜、大阪などの「土地柄」は、人々の会話で一層際立つ。

花札、梅毒などのはびこる「下層」からグランドピアノが置かれた「上流」の暮らし。

主人公の上昇志向を、誰が責められよう。

母親を反面教師として、父親への思慕を胸に、吉屋信子のストーリーを具現化したらこうなりそうな。

早速母に、読むのを勧めました。「きっと懐かしく思えるから」。

フェミニズムの失われた10年?

正しい書名は『社会運動の戸惑い~フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』。

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

これではきっと本書の面白さが伝わりにくいので、ブログのタイトルを変えた。

 

私にとっては、湊かなえさんの小説に匹敵するおもしろさ!

 

  • ジェンダー・フリーとか、リプロダクティブ・ライツ/ヘルスという用語を、いつの間にか見かけなくなった。
  • 上野千鶴子さんの講演での発言「都からは講演の依頼が途絶えている」。
  • バックラッシュ」という現象が、フェミニズムの動きを鈍らせている。
  • 埼玉の国立女性教育会館は、有効的に活用されているのか?

 

ここ数年来抱いていたぼんやりした疑問。

これらの動きをまとめている本も、人と語ることもなかったので、そのままだったが、この本で一気に解消できた。

 

まず、「ジェンダー・フリー」という言葉への誤解。

アメリカの教育学者バーバラ・ヒューストンが「ジェンダー・フリー」という概念を提唱していると日本に紹介されたが、実際の彼女の論文では、ジェンダーフリーは、平等教育の達成には不適切なアプローチだと批判し、ジェンダーに敏感になることを意味する「ジェンダー・センシティブ」の重要さが訴えられている。

 

バックラッシュ」の動きは、地方の条例制定に反対を唱えた『世界日報』が、「性別又は性別思考にかかわらずすべての人を尊重する」という文言に対し「”同性愛解放区”に向かう自治体」と注目を集める記事を掲げたことに端を発した。

ジェンダーフリー」→「フリーセックスコミューン」   ものすごい飛躍だ!

 

こうして、ほとほと嫌気を差す形で、もう「ジェンダーフリー」とは、誰も言いださなくなってしまったのだ。

 

熊谷にいた頃、国立女性教育会館のイベント案内のチラシを公的施設で目にした。

しかし、何せ、アクセスが悪く、泊りがけの研修施設かなと思っていた。

2009年の民主党政権による事業仕分けで、蓮舫参議院議員に対し、国立女性教育会館長が「私の話も聞いてください!」と訴え、話題となった。

現在、NPO法人化の可能性や他の国立組織との統合の可能性が議論されている。

この女性向け「箱モノ」の経緯も詳細に記されている。

 

女性政策にモノ申す「バックラッシャー」という一団も誕生し、その対応は、ネットを活用する局面に。

 

実際に当事者に会い、証言を得て綴られているので、真実を突き止めるまでのプロセスは、本当に推理小説のようで、見事。

 

 

 

愛、アムール

アカデミー外国語映画賞を獲ったフランス映画。

アカデミー作品賞も同時にノミネートされていたのは、とっても不思議でした。

老老介護を選択する夫婦。娘は「どうして入院させないの?」「他に治療法はないの?」と二人の決心を受け入れようとしない。

しかし、妻の症状は次第に悪化。夫は、愛を全うする方法を決断。

ラストに、何事もなかったかのように、妻に導かれて部屋を出て旅立つシーンが挿入されていたので、恨みもなく、悲惨さもなく、浄化されたかのようだった。

夫役のジャン・ルイ・トライティニャン(『男と女』の…)こそ、アカデミー主演男優賞を獲ってもよかったかもしれない。

ピアノが好きな方にも楽しめるのでしょう。音楽は、クラシックのピアノ曲が効果的に使用されている。かつ大人の静寂さも。

日本でも、このような局面にある夫婦は多いはず。

公式サイト

http://www.ai-movie.jp/

 

『母の遺産 新聞小説』の著者の講演会

第39回大佛次郎賞受賞記念講演会が関内の開港記念会館で開催され、『母の遺産 新聞小説』で受賞した水村美苗さんの話を伺って参りました。

母の遺産―新聞小説

母の遺産―新聞小説

 

小説なのですが、お母さまのこと、お姉さまのこと、横浜の高台にあるご親戚のことなど、事実を「新聞小説」にして、読者の間口を広げ、この賞を受賞するに値する見事な筆致。

講演会のことは、新聞で知り、メールで応募し、数日前から本書を読みなおしたところ、私の「今」を取り巻く状況に、あまりに似ていることに驚き。

母の言動に翻弄され、姉との関係に神経を削る。

この講演会、質問の時間が多くあり、思い切って私も挙手。「私にも姉がおります。女性同士の関係性について、思うところをお聞かせください」と。

お答えは、「姉とは、女性同士でよかったと思います。母のことも分担できたし、アメリカに渡ってからは、日本語で会話する相手として、本当に貴重だった。男ではこうはいかなかった」と総じて肯定的。ドロドロしている状況を抱えている私には、気が抜けましてしまいました。

行き帰りに、残りを読もうと思って持参していた本に、サインをしてくださるということで、列に並び、質問のお礼を述べながら、サインをしていただきました。

「男性の方が多く質問されたので、ありがたかった」と。

この小説にも登場するお母さまが、小説講座に入り「高台にある家」という横浜のご親戚のことを書いた文章を手直ししていったのが、本書を書くきっかけになったそうで、その『高台にある家』という本も、講演後に販売されていたので、購入しました。

「横浜は、西洋(世界)への窓口を象徴しているという認識をようやく得ることができた」というお話に、横浜での講演会に足を運ぶ意義があったと思えたのでした。

高台にある家 (中公文庫)

高台にある家 (中公文庫)