キャプテンサンダーボルト
立川談春さん30周年記念落語会
立川談春さんの30周年記念落語会を観に、KAAT神奈川芸術劇場へ。
2008年に銀座で独演会を観て、談志師匠の下、修業時代の記録「赤めだか」を読んでますます好きになり、横浜にぎわい座で一度独演会を観ることができ、今回で3度目。
ドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」や壇蜜も出ていたテレビ「闇夜でコソコソ」の話もたくさんしていただけた。
母の観た火の玉
母と昼食後、話をしていると、「若い頃、火の玉を観た」と言いだした。
看護師として勤務していた夜勤明け、何気なく寮の部屋の窓から病院を観ていると、何やら慌ただしい気配。患者が亡くなったのかもしれない。
と思っていると、ヨーヨーのような火の玉が、病院の上空をいくつも舞い上がり、それはそれは美しい花火のような光景だったそうだ。
それは途中で消えることなく、天空に吸いこまれていった。
病院側では、それに気づく人もいなかったそうで、母にだけ見届けられた。
患者が亡くなるときに毎回見えるわけでもないそうだが、他の看護師と話すと「私も火の玉を観たことがある」ということも。
母の言葉は、これからも折に触れ、書き留めていきたい。
舞鶴 引揚船と母
終戦から69年目を迎えようとしている。
舞鶴国立病院で看護師をしていた母(昭和6年生まれ)から、中国、シベリアからの帰還事業の頃(昭和20年代半ば)の話を聴いた。
舞鶴港に引揚船「高砂丸」「興安丸」が次々と着く。シベリア・中国から帰国してきた旧日本兵が中心。
(ネットで調べると、1953年前後か?)
上陸時、歩行困難な人を、看護師が4人がかりで担架に乗せて運ぶ。
車もないのに、どうやって患者を病院のベッドまで運べたのか、今では不思議だそうだ。
病院では、診断後、受診科ごとに病棟に振り分けられ、結核病棟、らい病棟、淋病病棟は、看護師も「り患」する危険が高く、希望者はいなかった。
そのうえ、淋病患者は、「現地で遊んできたのだから」と、同情されなかった。
ましなのは、外科病棟。ケガ人のガーゼ交換がメイン。オキシフル(消毒薬)もなく、乾いた数少ないガーゼで交換するしかない。その上、数日後麻酔なしで交換。「かさぶた」がはがれ、叫び声を上げる患者。
手術室では、シベリアの寒さの中で患った痔の手術が連日続く。腰椎麻酔を打ったが、時間がくれば「次の人にベッドを空けて」と、患者のお尻を叩いたりつねったりして麻酔の効き目を「強制終了」させる母。
現地で負った傷はホチキスのような金具で緊急縫合手術がなされ、帰国後皮膚を縫い合わせた金属製の針を抜き、新たに縫い合わせる手術も多かったそうだ。この場合は、麻酔なし。
比較的軽度かつ旧上等兵に看護助手として手伝ってもらい、病棟の夜間の身守りを担当してもらった際には、夜食のおにぎりを一緒に食べたこともあった。
帰還事業が進み、各地で事務作業をしていた「軍属」が最後に帰還し、引揚船は4年間程度でその役目を終えた。
応急処置を済ませ、地方に帰還する兵士を送り届け、地元の役所から認め印をもらうのも国立病院の看護師の役目。送り届けた帰還兵と結ばれ、北海道の大地で新たなスタートをきった同僚看護師もいたとか。
「岸壁の母」のモデルとなった母親を、実際何回か舞鶴港の岸壁で見かけた。
シベリア抑留兵は、現地でバラバラに活動させられ、「息子を知りませんか」と引き上げ船から降りてくる帰還兵に呼びかけても、そっけなく「知らない」という返事ばかり。結局、「岸壁の母」は、舞鶴のうどん屋を手伝いながら、ずっと息子の帰りを待ち続けていたそうだ。
帰還兵事業に貢献したことが評価されたのか、GHQから、「ララ物資」が看護師たちにはとりわけ多く配給された。
しかし、山積みのアメリカからの古着はサイズが大きく、ブラジャーもパンツも3枚履いて丁度だった。靴も、24cmサイズの次は27cmサイズなどと超ビッグ。なかなか妙齢の女性に合うものはない。紐のないブラジャーのつけ方がわからず、時間が経ったら、前後が逆になっていたこともあった。
戦後、国立看護学校に入学した者は、半数が辞めていった。全寮制で、地方から入学したものの、方言が抜けずにいじめを受けた者もいた。根性がある者だけが残った。試験前は、ヒロポンの服用薬を使用して、眠気を覚まし、三晩徹夜も当り前。2年制で、卒業後2年間のお礼奉公。その時期に帰還事業があったらしい。
その後、母は、海上自衛隊舞鶴地区病院で父と知り合い、姉と私を産んだあと、父の横須賀転勤に伴い、横須賀で老後まで過ごすことになります。
初夏の信州 旅のまとめ
2014/7/3
恵美ちゃんに「遊びに行きたい」とfacebookでメッセージ。
7/6
恵美ちゃんから、「20日と21日、我が家に泊まりませんか?」とのお返事。
ありがたくお申し出を受けることに。忍ちゃんも現地で合流予定。
7/11
新幹線の指定券をネットで予約。三連休なので、指定はほぼ満席。
2週間前の予約だと、割引がある。行きだけ、10%割引の指定席が取れた。
20日(日)、9時42分長野着
21日(月)、15時14分長野発
7/17
7/19
JR戸塚駅みどりの窓口で、切符を受け取る。クレジットカードを普段使わないので、カードの裏のサインを書くように薦められる。戸塚からの切符も入手したが、Suicaで新幹線改札の乗り換えもスムーズになった模様。
7/20
行きの新幹線は、軽井沢までの社員旅行のグループがうるさい。朝からビール飲むなって。長野駅の改札に、恵美ちゃんが迎えに来てくれる。駐車場で恵美ちゃんの車に乗り込む。
道の駅「オアシスおぶせ」へ。イベントの行列をかきわけ、売り場へ。
農産物直売所は、大半が売り切れ。それでもプルーンやネクタリンを購入。
小布施の竹風堂に車を止め、栗おこわ御前と栗あんみつを注文。一つずつ取ってシェアすることに。栗あんみつが先にきてしまい、希望をきちんと伝えるべきでした。
小布施堂の工場を通り抜けたり、キウイミントのかき氷をいただいたり。
北斎館に寄ったつもりでショップを眺め、開館30周年に作られた「おもしろ北斎」というかわら版のようなものを自分へのお土産に。北斎の一生や代表作、同時代の人々が描かれ、エッセンスを学ぶ。
ショッピングセンターで忍ちゃんと合流。食材を買いこむ。
大室温泉「まきばの湯」へ。露天風呂もあり、人気の立ち寄り湯。込んでいたが、疲れがひとっ飛び。
恵美ちゃんの住まいへ。ビール、地元の五一ワイン、サングリアを飲みながら話は尽きない。
7/21
朝食 おやきととうがんのスープがおいしかった!
黒姫高原へ。
黒姫童話館でピアノコンサート「森の情景」。ドビュッシーとショパンの有名な曲が取り上げられる。
そば処 うえだのテラス席で、戸隠そばをいただく。
季節の天ぷら(朝どりの山菜)と。
野尻湖へ。ソフトクリームを湖畔でいただく。おいしいがすぐ溶けてしまう。
道路が広くて、気持ちいい。長野オリンピックの頃から、外国のような道路が整備されている。
お土産を買い求め、新幹線へ。帰りの電車では、窓側の男性が、窓からずっとビデオを回し、車窓の景色を収めていた。トンネルも多いのに。
雨にもまったく降られず、帰宅。
あっという間の夢のような二日間でした。