leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

『1700人の交響詩』英伸三

 

黒歴史(?)の一つ。ここの卒業生(1973年度~1975年度在学)だった。

写真が撮られたのは、1977年度のほぼ一年間。その前に卒業していたので、この写真集の存在も長い間知らなかった。あまりのマンモス校だったので、写真集撮影直後の1978年度からは新設校ができた。生徒会長選も、2校の会長選である。

写真展が2015年3月に東京であり、そのことは知っていたが、足を運ぶことはできなかった。興味はあったものの、遠巻きにしてみていた。

そしてようやくこの写真集を図書館で予約して、初めて目にした。

合唱、生徒会、年間行事、修学旅行。どれも懐かしいものだが、どれもシニカルに遠目で観ていた者は、先生の心証を損ね、学業成績に露骨に反映していた。

トップ校に入れるはずが入れず、遠くの高校に通った人を何人も知っている。

写真集の後には、家本芳郎先生(中三当時、副担任だった/新採用の担任より、幅を利かせていた)の学校の歴史や現状が綴られ、当時の記憶が蘇る。

1969年あたりから合唱活動が導入され、私の卒業後、1976年に「池中憲章」が制定された。だから「池中憲章」は記憶にない。よかった。こんなものがなくて…。

修学旅行の妻籠宿での宿泊は、私たちの年から始まったかと記憶している。「つたむらや」に宿泊し「つたむらや」の歌も作って歌い、感激された覚えがある。

それも、修学旅行の行き先として、その数年前に京都が「出禁」になったからだが…。

前年は、山口か島根。

1年間、学校で撮影を許され、生徒のアップ画像も撮ることなど、今は決して許されないだろう。着物を着ている母親(祖母かも)の姿も。

先生の集合写真では、知った顔はあまりなかったが、巻末の撮影後記に秋元先生、蛭田先生という懐かしい名前を見つけた。

「班活動」「兄弟学級」「イニシャチブ」「原動力」…。どれも赤面してしまう。

中二の担任は、その後、市議会議員に社会党から立候補し、当選。中一の担任は、労働組合の専従となったようだ。どれだけバイアスがかかっていたことか…。

Youtubeで、Pacharintokunという人(どんな人なんだろう?)が、1974年の「三年生を励ます会」の音声をいくつもアップしている。合唱している中に、私もいる。

このYoutubeも、私にとっては、十分「黒歴史の一つ」。