森瑤子の作品は結婚後よく読んでいた。専業主婦のままでいいのか?という自問自答の解を具現化して華やかなライフスタイルを提示していた。
しかしどの作品にも「家族への罪の意識」が見え隠れし、早逝してしまった。
結局、アラカンとなった私は、森瑤子にはなれなかった。求めてもいないのに、名前だけは近づいたが。「林葉直子に近い」という人より、「森瑤子に近い」と思ってほしかった。
林真理子さんと競うようにカナダに別荘を持ち、パーティー人脈を持ち。
それでも残る友人は片手とも。
作者は婦人公論でもよく目にしていた。多角的に森瑤子を立ち上がらせるのに成功している。娘たちや夫の現状まで。
すばる文学賞を取った出世作「情事」を完成させるまでのエピソードに比べ、多作となった頃の書きなぐった作品との落差。
肩パットもなく、胸の膨らみも強調しない今のファッションは、女性を声高に主張する世界をも隠している。無くしたのではなく、隠しているだけだ。