leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

中沢新一×高橋源一郎

公開セミナー 「歴史と現在」 
第9回 「文明の転換」 中沢新一×高橋源一郎

高橋源一郎氏は、現在、明治学院大学国際学部教授(次期、国際学部付属研究所所長になってほしいと、原先生は切望)
今回と次回、ホスト役を務める。

(高橋)中沢氏とは同学年。他の有名人に、矢作俊彦内田樹ショーケンがいる。
デビューも1980年代前半と同時期。当時は、多くの思想家、文学者、ミュージシャン、デザイナーが登場していた。
同じ文学賞の審査員を長く務め、雑談はしてきたものの、対談は初めて。
中沢氏の著書は一度も難しいと思ったことはない。途中で結論がわかってしまう気がするほど、同じことを考えていたことがあった。
思考プロセスも、考えあぐねている時の感覚でさえも。
どの学会にも所属しない学者であり、何をやっているかわからない。あらゆる学問(知)を横断、統合している。「中沢新一学」とでも呼ぶべき。
30年間の準備、持続的営為の積み重ねを、「芸術人類学」と名付けた。

そんな中沢さんは、今、何を考えているのか? 基調報告をまずどうぞ。

(中沢)大学は理系だった。人間に対する関心が強く、宗教学の「何をやってもいいから、ゲリラでやれ」との先生の誘いにのり、転部。

二極分化の変遷

マルクスは、資本階級であるブルジョアジーと土地も財産も歴史も持たず、安価な労働力として存在するプロレタリアート=「万国のプロレタリアート団結せよ」との二極分化を定義づけた。

今の3.11以降の二極分化は、

1.アングロサクソン的資本主義、商品の自由化、均質化、単一化をはかるグローバル資本主義
これは、日本語もダメ、地域の多様性のある文化を破壊
2.地域に根差し、人間が入れ子状態につながる社会

大震災を通じて、日本が二極分化の戦場となる。
大きな共生をもつ場に立たないといけない。
グローバル資本主義の限界 → TPPは農業破壊をもたらし、明治以降最大の危機に。
我々は何をしなくてはいけないか → 「緑の党のようなもの」を無意識に考え出した。
マルクスは、緑化、自然、環境、脳科学的アプローチが、欠けていた。


(高橋)
進歩、進化は幻想であり、すべてが疑わしい。今の世界が困ると思い込まされているが、人間は、10万年、変わってはいない。
原発がエネルギーとして持っている特殊性について、伺いたい。

(中沢)
人間は今まで、補助エネルギーの獲得をめざしてきた。火、かまど、家、火薬、石炭、石油。これはみな、酸素が分子結合して、電子的に起こること。

しかし、原子力は、原子核の破壊という生態圏外で起こる変化であり、鉄腕アトムやウルトラマンなどで、夢のエネルギー、安全と刷り込まれてきたが、安全なことはありえない。異質なこと。
日本の大転換なのである。

(高橋)
地震や津波は、元に戻るかもしれないが、原発被害は、元に戻らない。
安いから、優れているからと、他のエネルギーと同じ考えで導入してきた。
原発と資本主義は相性がいい。

(中沢)
資本主義 capitalism 頭=元手が増殖する 農業につながる。
タネをまけば太陽エネルギーと植物そのものの力で増える。
今の資本主義は、マーケットに金(資本)を投入するが、金は増殖しない。

(高橋)
マーケットでは、価値と金銭が同じだからと交換するが、便利だからと導入するものは、ウソが多い。変わらねばならない。贈与という考えについては?

(中沢)
贈与という計算できないものを含めた経済学を作らないといけない。
気持ちやモノは計算できるものではない。
マーケットのようなデカルト、ニュートンが唱えてきた計算できるものとブータン国王が見せた「ハピネス」との合体が必要。
理系の量子力学も、計算できない要素が組み込まれており、ハイゼンベルグは気づいていた。

(高橋)
人間は利己的だから、経済学に贈与は入らないのでは? 
「災害ユートピア」 人間は利他的に行動する構造がくみこまれている。という考えもある。

(中沢)
他人への配慮で社会は作られる。
インターネット世界が、贈与空間の形成に役立つが、リアルも必要で、めざすべきところ。

〈会場から質問〉

緑の党のようなもの」は、いつできますか?

(中沢)
緑の党のようなもの」は、明日のDOMMUNE(ドミューン) で、スタートします。地域に根ざした政党は、従来は保守でしたが、保守×革新という対立構造もなくなり、地域や伝統
社会がベースとなる。
日本共産党(党というのをやめちゃえばいいのに)も、一水会も歓迎します。