leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

姜 尚中の子ども時代

ダンナの片付けにつきあいきれず、録画してあったテレビ「わたしが子どもだった頃〜姜 尚中」(NHKハイビジョン)を視聴。
姜 尚中が熊本で在日として過ごした生活が語られていた。
小学校で、在日朝鮮・韓国人として差別を受けたくなかった「永野鉄男」(姜 尚中の日本名)少年は、自宅も家業(廃品回収業)も同級生にひた隠し、それでも母親の故郷由来の年中行事に嫌とは言えず、友人にも家族にもウソを付かざるを得ない「二重の背徳心」を抱えていた。
熊本には立派な「永野家」の墓があり、お墓のウラに、両親の本名が書いてあった。
創氏改名の歴史に、こうして折り合いをつけたのだ。
小学校時代、転校生に淡い恋心を抱き、「永野くんの家に遊びに行っていい?」と聞かれたときの「今はダメ」としかいえなかったときの辛さ。
そして、一年で彼女はまた転校してしまい、消息がわからぬまま。
テレビ局(NHK)のおせっかいともいえなくないが、その後、初恋相手の消息がわかった。
彼女は、19歳で交通事故で亡くなっていたのだ。
その事実を知らされた姜 尚中。
「19歳。僕が大学に入る頃に、彼女は亡くなっていたんですか」。
いつもクールな表情の姜 尚中。
そのクールさは、決して冷たいものではなかった。
そしてこのテレビでは「永野鉄男」がいた。