今の職場の専門家(社会保険労務士)の一人が、娘さんと絵本を出されたことを知り、「見せてください」とお願いしていたら、昨日「一冊さしあげます」といただいてしまいました。
タイトルから、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に似ているのかと思いきや、いい意味で裏切られました。
そこには深い「今ならでは」のストーリーが展開しています。
絵本というメディアを通して、タクシーが飛び回る空間が大きく広がります。
文芸社から、絵本が出ています。
同世代とは知っていたものの、同学年とは知らず。
著者の半自伝です。「君」は「ボク」と脳内で変換しましょう。
芥川賞を獲っていたと今まで勘違いしていました。
獲っていないが故の、恨みつらみの数々。
「文壇」というコミュニティが存在した頃の「文豪」との接点も語られている。
著者の代表作って、残念ながら思い浮かばないのですが、村上春樹を意識していたというのも意外。同年代なので、避けて通れない存在なのかも。
ニーナとの二重生活には無理があるな。「モテるんだから、これくらい許容」。と思いこもうとしていた節がある。
図書館で予約の順番が回ってきたので。
命日にちなみ、ジョン・レノンの「スターティング・オーバー」を聴きながらこれを書きました。
新聞広告や書評で、同世代(50代)の恋愛描写が高い評価を得ていたので、ポチっと購読。
熊谷に住んでいたとき、コミュニティの狭さを実感したが、本書も、小学校、中学校の卒業生が、何となく歳を重ねるか、戻ってきてしまう土地柄。
この二人も、中学生の初恋の思い出を胸に、それぞれの結婚生活を経験後、この土地に舞い戻り、再会を果たす。
例外なく、悪意のない「かきまぜ役」がここにもいて、気づけば二人。
ここから想定外の展開が待ち受けるのだが、共感できたのは、相手を気遣って躊躇いがちに発した言葉が、相手をさらに気遣い、思ってもいなかった行動を女性にとらせてしまったこと。
数少ない発言やサインを、ストレートには受け取れないのだな。
「含蓄」深い、恋愛模様であります。
『盤上の向日葵』の作者のデビュー作が文庫版になり、あちこちで宣伝されていたので、ポチっと購読。
途中から「きっとこの人が犯人」と思えた人が、真犯人ではなかったことが、よい意味での腕の良さなんだろうな。
しかも主人公の理解者を装う。あざといなぁ。
最近、この手のニュースも見聞きし、現実にも起こりうる話。
私が読む前に、他に読む本がたくさんあったので、母に先に読んでもらったが、少々母にはヘビーだったかも。パソコンやUSB、パスワードなど、難しかったかと。
「共感覚」への理解不足がカギになっていたが、医療関係者だったら、もう少しあるはず。
だって、「ググればでてくる」のだから。
毎回、心を揺さぶられる天童荒太の新刊。
「人を殺してしまった」と絶望する娘に「あなたには、帰る場所がありますか」と手を差し伸べ、様々な人との関わりの中で、「このままいてもいいんだ」と思える場所を獲得していくまでのストーリー。
学校に十分通えなかったこともあり、クスっとなるような聞き間違いや思い込みが繰り返されるのだが、「加藤茶」を知っているなんて、まるで「チコちゃん」。
道後温泉の温かさ、「さぎのや」に集う人々が持つエピソードのそれぞれが、次々と舞台に出てくるショートストーリーの主人公のよう。
筆者の故郷を描いたことがあとがきに書かれ、一層の思い入れを感じ取った。
時々、本を貸す職場の友人に「どっぷりのラブストーリーとほのぼの系のどちらがいい?」と聴き「ほのぼの系」と返事があったので、迷わずこの本を貸すことにした。