leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

『新世界』西野亮廣

新世界

新世界

 

 図書館にずいぶん前に予約していたこの本。順番が回ってきたときには、予約したことを忘れ「誰の著書だった?」と記憶を辿る。

表紙に筆者の写真。そうだ、お笑いコンビキングコングの片割れで、絵本で有名になった人。

この本も、今までのエピソードを重ね、順風満帆ではなかった成功譚にしている。

読者の信用を貯めているのだ。

彼の手法を揶揄するなら、彼を上回る成果をだしてみろ。

今朝、偶然「はねるのトびら」の再放送を初めて観た。彼が、階段上りに挑戦していた。楽屋入りも早朝から、練習を重ねてきていた西野は、いざ本番になると「やめとこ」と撤退する勇気。

 

『14歳、明日の時間割』鈴木るりか

 

14歳、明日の時間割

14歳、明日の時間割

 

 注目されている中学生作家の作品を初めて読んでみる。

学校生活の時間割に即して、日々の想いを綴っている…そんなありきたりなものではない。短編一つ一つの構成が冴えていて、先が読めない。「中学生作家」という立場を素材として登場させる冷静さを持ち合わせている。

中でも「家庭科」「体育」など、当たり前とされてきた概念が、出来ない人にとっての「同調圧力」を振りかざすことになるという発見。

担任の先生の「作家」への果てない夢の行先まで考えているなんて。

この作者には、もう早稲田大学日大芸術学部の卒業資格を与えてしまってもいいのかも。

 

 

『くらもち 花伝』くらもちふさこ

 

 くらもちふさこさんが、デビュー作から今までの自作を語る。

これは入手しなければ。と、ポチっとAmazonで注文したところ、予想外に早い到着。そしてひと晩で読んでしまいました。

5歳しか年齢は違わないのに、何気ないコマにまで思いを注いでいる。

作品ごとにタッチが進化していることにも敬服。

登場人物のヒントの素に触れることができた。

「編集者がいい顔をしなかった」作品もある。いつもヨイショされていたわけではなさそう。

マンガ不況だったのか、別冊マーガレットしかオンタイムでは手に取ることはなかったが、コミックで「全巻大人買い」してしまった。

そして今朝、ドラマ「半分青い」に出ていたマー君こと中村倫也さんが「あさイチ」に登場。満たされました。

『僕は庭師になった』村雨辰剛

 

僕は庭師になった

僕は庭師になった

 

 NHKの『筋肉体操』を観てこんなに美しい人が現実に存在するのだと思い、注目していたら、本を出版。Amazonで購読。もちろん一刷。

なぜスウェーデン人が日本庭園を学び、日本に帰化して、「筋肉体操」に出ることになったのか。

感心したのは、掃除を通しての修行。親方も本気度を見極め、弟子も親方の技を会得する。本物の「睨み合い」。

口絵の写真が、鎌倉の光明寺ということもうれしい。桜の季節に訪れたい。

スウェーデンの教育制度、家族の在り方も、今の彼を成り立たせる大きな要因。

今後、日本庭園を通じて世界の架け橋に。というオファーが多くなることが予想されるが、まずは日本人を満足させて、何千年も残るような庭を造る庭師になってくれることを願います。

 

 

『世界一ゆるい聖書入門』上馬キリスト教会

 

上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門

上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門

 

 ツイッターは以前から注目していたが、本が出版されたので、購読。

こんな内容の「キリスト教概説」なら、大学でAをもらえたのに。

ノンクリスチャンにとって、聖書の冒頭の人名が並ぶところで、まず挫折してしまう。

でもそれぞれの面白エピソードを紹介していただけると、今まで名前だけしか知らなかった、名前さえ知らなかった人物たちの姿形がおぼろげながら夢想できる。

「ふざけ」担当より「まじめ」担当の方が牧師に怒られることが多いそうだが、この教会の懐の大きさが感じられる。きっと明日の礼拝も賑わうことだろう。

 

『森瑤子の帽子』島崎今日子

 

森瑤子の帽子

森瑤子の帽子

 

 森瑤子の作品は結婚後よく読んでいた。専業主婦のままでいいのか?という自問自答の解を具現化して華やかなライフスタイルを提示していた。

しかしどの作品にも「家族への罪の意識」が見え隠れし、早逝してしまった。

結局、アラカンとなった私は、森瑤子にはなれなかった。求めてもいないのに、名前だけは近づいたが。「林葉直子に近い」という人より、「森瑤子に近い」と思ってほしかった。

林真理子さんと競うようにカナダに別荘を持ち、パーティー人脈を持ち。

それでも残る友人は片手とも。

作者は婦人公論でもよく目にしていた。多角的に森瑤子を立ち上がらせるのに成功している。娘たちや夫の現状まで。

すばる文学賞を取った出世作「情事」を完成させるまでのエピソードに比べ、多作となった頃の書きなぐった作品との落差。

肩パットもなく、胸の膨らみも強調しない今のファッションは、女性を声高に主張する世界をも隠している。無くしたのではなく、隠しているだけだ。

『あちらにいる鬼』井上荒野

 

あちらにいる鬼

あちらにいる鬼

 

 図書館の予約が殺到し、待ちきれなくなり購読。

著者は作家・井上光晴の娘。彼は美人で聡明な妻と二人の娘と暮らしながら、長年、瀬戸内寂聴と不倫関係にあった。父親が死を迎えるまでの日々を、娘が描く。

井上光晴、魅力的な男性だったと思われるが、#Me tooが叫ばれる現代であれば、アウトな男。正妻にも不倫相手にも「許されている」と独善的な振る舞いで、挙句の果てはカルチャー文学講座の生徒にも手を出してしまっている。

瀬戸内寂聴さん絶賛」と帯にあるのだが、「嘘でなく」描かれていることを「絶賛」しているのか、文学的な価値を高く評価しているのか、どちらだろう?

瀬戸内寂聴さんが、人生相談の名人と崇められているが、本作を読むと回答者としてはどうなんだろう? やはり人生の悩みは、悩み尽くして最終的には自分で解決策を見出さないと。