この文章を、どこに書き残すか、非常に迷った。
facebookなら、「友だち」に読んでいただけるけど、近い将来、自分が遡って読み返すのは容易ではない。
このleaf's blogは、本来「残したい文章を綴る」コンセプトなので、一応、ここに記すことにした。ネット上でも、当時の関係者との付き合いはほとんどないものの、念のため、固有名詞は避けて。
で、私に降りかかった「コロナの一年」を改めて記録しておきます。
令和元年4月に転職した団体で、労働局から受託していた「経営相談」の組織に事務として配属された。予算は税金。中小企業診断士と社会保険労務士の専門家が日替わりで企業主の相談にあたり、ハローワークOB(略称・ハ長)と労働基準監督署OB(略称・労長)の二人が、月10日ずつセンター長職の勤務日をシェアしていた。
2月に入ったある日、「労長」が出勤してこない。そういえば、新型コロナウイルスがクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」で感染し、客が横浜港で留め置かれているというニュースがあったっけ。
労長、まさかね…。
労長から携帯で事務所に電話があり、まさしく当事者ということがわかった。
ハ長に急遽連絡。釣り好きのハ長は、相模湾で釣りの真っ最中。それでも、午後には事務所に駆け付けてくれた。それから年度末まで、「一人センター長」に。
元々、両センター長は、出身の違いもあり、意見が異なることが多かった。
労長は、コロナの陽性反応が出て、同行していた奥さまと一緒に長野の病院に2週間入院。「元気な陽性」と連絡があり、ほっとした。
3月には、新年度の事業の受託先が決まる。所属していた組織は「新年度の受託も何とかなる」と年度の集計やプレゼン資料をまとめていた。しかし見通しは甘かったようだ。
3月、新年度事業の受託は、民間の企業に決まった。
労働局に提出しなければいけない資料や引継ぎ資料は、すべて「ハ長」の監督下で行われた。労長は退院後、復帰してもよい状況だったろうが、ハ長の「コロナは来るな!」の発言もあり、労長は出勤をあきらめざるを得なかった。
「コロナいじめ」という言葉がマスコミに取り上げられた頃だった。
解散の集まりは一切なく、関わった人とは、最終日の帰宅時にエレベーターまで見送った。ハ長とは最後まで打ち解けた会話はできなかった。
新年度の雇用を求め、民間企業に自らを売り込んだり、顧客データを持ち出そうとする専門家もいた。
私は、新年度から採用元団体の某部に配属されたが、コロナで思ったような業務分担ができなくなり、退屈な仕事に辟易して、7月から転職した。
労長とは、6月に個人的にお目にかかり、昨年度のお礼を伝えつつその後の様子を伺うことができた。
あれから一年。「コロナで困っている人のために役立ちたい」と転職できたものの、今の職場でもいろいろある。この事を文章にまとめるのは、またずっと先になるかもしれない。