戦前から戦後にわたり、17年間も日本に滞在した世界的ピアニストの評伝。
彼の娘が、日本国憲法に、男女平等の概念をはっきりともたらしたベアテ・シロタ・ゴードン。
ヨーロッパでのユダヤ人迫害が、日本滞在のきっかけとなるのだが、日本ではユダヤ人の区別がつかなかったことが功を奏し、居心地のよい生活を送ることができ、今の東京芸術大学で、多くの日本人ピアニストを育てた。
コンサート活動も積極的に行い、日本でも客席が超満員の写真が掲載されている。
終戦直前の軽井沢滞在があまりに悲惨で、終戦後は、日本を離れアメリカに滞在。
お嬢さん教育の一環としてピアノのレッスンが流行ったそうだが、「自立する手立て」としても貴重だったという記述に感心。