まず、グリム童話の「寿命」の話から
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/09/18.htm
動物の犠牲の上に、人間には「70年」という寿命が与えられています。
「いただきます」という言葉は日本特有。
親、生産者、動植物の命をいただく。自然との共生、恐れ、謙遜を込めて。
日本が世界有数の寿命を誇るようになったのは、戦争をしなかったことが大きい。
乳児死亡率も低く、「母子手帳」は世界から注目されている。
人生最期の6~7年、不健康で過ごすまでの「健康寿命」が問われる。
「敬老」と共に「棄老」の問題が生じる。そのバランスが問題。
棄てられる前に、命を断つ老人も多い。
3K老人=口やかましい、くどい、汚い ⇔ かわいいおばあちゃん
用事(予定)のない、無用の老人 → 東京23区内で、一日10人孤独死
「置かれたところで咲きなさい」(渡辺和子)という本があるが、私の心がけていることは、
- 自分の若い時と比較しない。
- 日野原重明と張り合わない!
リタイヤ後の楽しみは、朝刊をゆっくり読み、鳥に餌をやり、その様子をじっくり観ること。
50年以上刑務所ボランティアを続けつつ、町内の見守り隊に立つことも。
子どもの疑問「おじさんの髪の毛はなぜ白いの?」
阿部「人のために働いたご褒美なんだよ」
年寄と子どもの出会いの誕生。これも外に出ていたからこそ。
「今日も誰も言葉をかけてくれなかった」と嘆くのではなく、自分から声をかければいい。外に出て挨拶をしよう!
挨拶=「あなたの心にふれさせてください」という意志表示。
後世にどんなことを伝え、残すか、継承の努力は重要
- 戦争体験
- 微笑みを持って生きる喜びと明日への希望を伝えるのが年寄の役割。
遺言を書く→死への準備→人間的成長
「人間は神に向かって作られた。死に向かって歩いて行く。その姿勢を問われる」
恩人トムソンの息子は、父の死を「celebration」と葬儀の挨拶で述べた。
天国に迎えられる「お祝い」なのだ。
讃美歌284番 4番の歌詞 「老いの坂をのぼりゆき」
http://www.geocities.jp/asakusa_kyokai/song284.html
井深八重の最期の言葉「私はこれからいい所に行くのだから、喜んでちょうだい」
http://www.jinken-net.com/gozonji/information/1108.html
アカウンタビリティ≠説明責任、透明性
死後審問を受ける。人生の総決算
アスケーシス≠禁欲
目標に向かって進むために、自分の身を整えること。
日本には、PPK(ピンピンコロリ)やポックリ信仰がもてはやされているが、ヨーロッパの人は、ポックリ死にたくないと考える。
- どんな人生だったのか省みる
- 友達と家族とゆっくりお別れをする
- 天国への準備がホスピス
→緩和ケア(palliative careパリアティブ・ケア) 上着をぬいで、かぶせること