leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

渡辺裕×原武史

明治学院大学 戸塚キャンパス 公開セミナー 歴史と現在 
第4回目のゲストは、東大教授、音楽史家の渡辺裕先生。テーマは「戦後史のなかの音楽と政治」。
天皇制と音楽、反体制と音楽、「1968年以後」の「国民音楽」、「被災地に継承される音楽」というテーマを列挙したレジュメを渡され、原武史先生とのおもしろいやりとりを期待して始まりました。

渡辺:音楽は、政治や社会とリンクするのが常である。フランス革命歌「ラ・マルセイエーズ」がフランス国歌になり、日本では長く「君が代論争」が続くが、あれだけが音楽と政治の関係で観ると特殊なわけではない。

原:1999年、皇居前広場今上天皇在位10年を祝う国民祭典が挙行された。YOSHIKIが、あのためだけの1回きりの演奏が披露され、在位20年では平成21年11月12日、EXILEが、寒い中、野外で曲とダンスを披露した(YouTubeの動画を会場で流す)。

渡辺:カリスマ性の提示のあり方の変化として、スポーツイベントでの「君が代斉唱」が取り上げられた。
1960年代、ファイティング原田のボクシング試合前に、坂本九がポップ調で「君が代」を歌い、大顰蹙を買った。今でも、「さざれ石の」の歌詞でブレスをするかしないかで話題になる。時代による歌い方の変化が生じている。

原:天皇在位を祝う国民祭典では、映像で、遠くにいる天皇・皇后の姿が流れ、実際には見えない天皇に向かって「バンザイ」が繰り返された。戦前の方が健全なのでは?

渡辺:リアリティのあり方が、PC環境と共に変化しているのでしょう。いつの時代も違和感はあるもの。明治百年の歌も公募され、サトウハチローの補作、外山雄三作曲で披露されたが、その後聴いたことがない。

原:「原爆ゆるすまじ」「赤旗まつり」での大合唱、うたごえ運動など、60年代末〜70年代に盛り上がりをみせたが、客観的な研究がなされていない。

渡辺:うたごえ祭典は1951年から始まり、55年前後は熱気を帯びていたが、学生運動の鎮静化、シンガーソングライターの出現、カラオケの発展など、世の中とかみあわなくなってきた。

原:「原爆ゆるすまじ」を今聴くと、「原発ゆるすまじ」と聞こえますね(笑)。

渡辺:小沢昭一が「日本の放浪芸」として門司港の「バナナの叩き売り」をCDに残している。ただこれは、地元公民館館長による地域起こしを狙った保存会による聞き覚えであり、本物ではないという指摘もある。これがのちに寅さん映画によって、全国的な評価を得た。

渡辺:チンドン屋の元祖「ジンタ」が、石巻に残っている(→参考1→参考2)。震災では無傷だった北村地区だが、小学校の運動会で、君が代や徒競争のBGMに、生演奏が披露されている。

原:この震災で失われた物は、表面的ではなく、深層、文化レベルまで目を行きわたらせいと、失ったモノの総体は見えない。

渡辺:今後は、音楽をめぐる文化の研究、両者の狭間を探りたい。演奏会に行っても、人々がどうその音楽を受容しているか、観客を眺めることが多い。

質問(浪人生女子):最近、Facebookやツイッターでの呼びかけに2〜3万人が応じる「サウンドデモ」が隆盛。その動きをどうとらえるか?

渡辺:実態がよくわからないが、今後は注視していく。

(リーフが検索した、サウンドデモバーチャルツアーはこちら

(感想)
もう少し、お二人の掘り下げた議論を期待したのですが、1時間+質疑応答の枠の中では、無理だったかも。
私としては、中学で体験した「合唱」が、どのようにして、公教育の場で隆盛を誇り、その後下火になったかの背景を伺いたかったのですが。