leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

関東大震災と東日本大震災

明治学院大学 戸塚キャンパス(母校ですが、卒業後、このキャンパスはできました)で、始まった公開セミナー「歴史と現在」の第1回目。
ゲストは建築(史)家の藤森照信先生、ホストは原武史先生。
無料のセミナーにしたかったが、事務方から「100円でも徴収してください」と言われ、「では100円で」と決まり、申込不要、1回参加ごとに100円という破格値。原先生によると「100円はレジュメ代」とのこと。



関東大震災(1923.9.1)のときは、後藤新平という医者であり、台湾統治時代、上下水道を整備に成功した経験豊富なリーダーが、数年前から準備していた災害対策都市計画をあてはめ、スピーディに成功させる。
区画整理―地主は15%を無償で国に提供した。
皇居前広場には夕方になると30万人の人が集まり、テント生活を始め、それを観た摂政裕仁親王は、追認。
震災後の住まいとして、同潤会アパートのような日本初のコンクリート集合住宅が建てられたが、フロやトイレは共用。
それに対して、作業スペースに乏しい下町職人タイプの人間は出て行ったが、ヨーロッパ的生活に憧れたサラリーマン向けには大人気だった。



東日本大震災(2011.3.11)は、20m以上の津波対策、住めない、戻れないという原発対策は、未経験だし、不可能な話。
現在、個人や組合に与えられている漁業権を、今後、資本のある企業に解禁することで、魚を取りに職場(漁場)に行くという漁民のライフスタイルの転換を迫られている。今までは、海辺に住むことが出来たが。権利関係の調整が必要。



小沢一郎も何もしない。想定外のできごとが起きたときのリーダー(後藤新平のような)の不在、ヒトは本来、水、火、住宅のあるところに住もうとするが、人類としてのパワーも減り、ただただ助けを待っている=がまん強いという美談に。



例外的に営業している大船渡のホテルは、年内は予約でいっぱい。お上に従わない人間が、外部からのニーズを満たし、新たなコミュニケーションの場として成立している。
三陸鉄道も、営業できるのに、そのままのところもある。流入でき、対話が生まれる場づくりが重要。



次回は立花隆さん。満席必至?