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leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

目がない

地域SNSで、「移動の足がない」という言葉は、障害者を傷つけていないだろうか?ということが話題にのぼり、リーフがいちばんに頭に浮かんだのは、「では、『女性に目がない』目の不自由は彼はどうなるんだ?」という疑問でした。
そこで早速、大学時代のゼミ仲間で、今、フリーライターをしている川田隆一氏に久しぶりにメールをしてみた。
すぐ返答があり、以下のような明快な意見を述べてくれました。

> で、「目がない」の件ですが、私は全く気になりません。
> 私ばかりではなく、多くの視覚障害者は、あえて自分からその表現を使うことは
> あまりしないかもしれませんが、気にならないという人が大多数ではないでしょうか。
>
> ただ、以前に、選挙で達磨に目を入れる習慣について、視覚障害者の団体が
> 抗議をしたことがありました。
> それなど、私に言わせれば「運動のための運動」のように思えて仕方がありません。
>
> 文化の中には、取り様によっては「障害者差別」と感じる表現や習慣もありますが、
> いちいち目くじらを立てることは、ほとんど無意味ではないでしょうか。
> (そういえば、「目くじら」って、どんな「くじら」なのかな?)
> そもそも、古来の伝統や文化を相手に喧嘩をすることは、無意味だと思います。
>
> 「バカチョンカメラ」には明らかに特定の人たちへの侮蔑がこめられていると
> 感じますが、「目がない」の方は、国語表現の範ちゅうとして許容出来ます。
> 「許容」というか、今回メールを頂くまで、私は気にしたこともありませんでした。

> ただ、国語表現でも、それによって傷つけられる人がいるのであれば、
> 使用を自粛しなければならないと思います。その意味で、
> 「移動の足がない」については、私にも適否を図りかねます。
> おそらく大丈夫だとは思いますが、念のために肢体不自由の方たちの
> ご意見を伺ってみなければならないな、と感じました。
>
> 予断ですが、夏に共同通信の短期連載を書かせてもらいました。
>
> もしも新聞掲載用の原稿に「目がない」、「足がない」と書いたら、
> たぶん校閲部門から表現変更の依頼が出るのではないかと思います。
> 世の中全体が、変なところで多感になっている気がします。
>
> 「よく分からないけれど、使っちゃいけないらしいから、うるさい人がいるから、
> 取りあえずやめておこうか」、みたいな。

ほぼ同意見だったので、ほっとしました。そして、川田氏の変わりないユーモア精神にも。
知らぬ間に、当事者を傷つけているのかもしれないと少々懸念していたので。
言葉狩り」にならぬよう、とはいえ、思いやりの気持ちは持ちつつ、日本語を大切に使いたいものです。
何より、久しぶりに、川田氏とやりとりができたことが、リーフにとっては収穫。