leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

滝山コミューン1974

オリンピックと高校野球を横目に、一日読書。
秋葉原のヨドバシカメラの上に有隣堂があり、かねてから読みたかった「滝山コミューン」を発見。図書館でも置いていなかったので、この際購入。


1974年、滝山団地という地域のマンモス小学校に通う筆者が、全生研で試みられた新しい教育活動を受け、そのひずみを小学6年生の感受性で捕らえる。

実はこの本、読みたかった訳がある。
リーフが1974年に通っていた、横須賀市立池上中学校というのが、「全生研の総本山」ともいうべきところなのである。
何しろ、この本にも引用されている「教育の手引き」なるものの中心人物、家本芳郎先生に、指導を受けたのだから。
私の学年では、すでにクラス担任ではなかったが、私のクラスの副担任格として、木曾への修学旅行には、同行していた。
記念写真には、担任よりも堂々たる家本先生が、クラスの中心に写っている。
家本先生も、もうすでにお亡くなりになっているようだが。

確かにありました。
班活動、ビリ班、合唱指導、シュプレヒコールなんていう掛け声。キャンプファイヤー。
中学時代のリーフは、「いい子ちゃん」を装い、兄弟学級への訪問の際も笑顔を振りまき、「ニコニコおばさん」と呼ばれていました。中3でだよ!
班編成では、班長会議で、余ったクラスメイトを救済する役回りに自己陶酔していました。

やはりそれは、当時のソビエト指導部の国民統制に近いものがあり、生徒会長選挙、学年集会など、多くのシーンがまざまざと蘇る。
生徒会に協力的なものは、成績もかさ上げされ、リーフは、分不相応な難関高へ。非協力的な者は、リーフのような姑息な生徒に、点数を奪われる。

長じて、私が子供を持たなかった一因がここにある。

我が家は、教育一家でもなかったし、PTA活動にもノータッチ。
リーフにこうしろ。という道を示してくれたわけでもない。全くの放任主義。
何をするにせよ「自己責任」なのだった。

この本、たぶん、こういう世界を書いているのだろうな〜。と思いつつ、様々な書評を横目に、今まで手に取るのが怖かったのも事実。