leaf's blog

記録しておきたい文章を綴ります。

介護の「カイ(甲斐・快)」はあったのか(1)

6時前、義父が入院している病院からの電話で目が覚める。番号が登録されているので、「運命」のメロディでそれとわかる。夫に出てもらう。神妙な空気。電話を切ってから「死んだって」。まさか!
とりあえず、義姉さんに電話をするが、誰も出ない。旅行中の様子。ケータイに電話したり、メールを入れたり。
喪服や必要書類、現金を手に、自宅を出たのは8時過ぎ。
地元では、夜降った雪が積もっていた。しかし、地元を出ると、雪の降った様子はまったくない。
病院に到着後、当直医の説明を受け、病院の屋上の霊安室に義父さんは移されていた。
献体をするので、献体先の担当者に連絡をとり、車を手配してもらう。ケータイがあって本当に便利。
お昼は、移動中、コーヒーショップでコーヒーを飲みながら、朝食べるはずだったパンを二人でかじる。
献体先の大学病院で、義母さんが一昨年11月末に行ったように、お別れの会を1時間程度持つことになった。
参列者は、近親者3名、義姉さん一家(旅先から戻ってもらった)4名、私たち夫婦。義姉さんの義父さんの牧師(既に引退しているが)さんに司式をお願いする。讃美歌のコピーも献花も用意された。
突然のことなので、集まれる方も限られていたが、その時間は、太陽も上がっていた。
式はキリスト教だったが、本人は仏教徒なので、献花のあと、急遽線香台を探し出し、線香を上げることになった。本人が行くのは、天国?極楽?
義姉さんは、義父さんのことは、夫と私に任せきりだった。死後の処理も全て任せたいらしい。喪主としての挨拶は夫がしたものの、式の前後の他の場面では、義姉さんの独壇場。夫は「いろいろ聞かれたり挨拶するのが、僕一人より良かったと思うよ」とのこと。
義姉さんからは「リーフさんいろいろありがとう」と言われたが、翌日以降のことを考えると心が塞がってしまった。
自宅に戻ったのは7時。ご飯も炊いていなかったので、作るつもりにしていたシチューだけ、山ほど作る。